と、
音楽と、
読書

ナッシュビル行きのフライトで、セーヌ川を遊歩する

成田空港からアメリカ・ナッシュビルまでは、約12時間のフライトだ。

旅における移動時間は、もっとも大切にすべき時間のひとつである。なぜなら、ほとんどの場合、旅で得た経験は移動中に咀嚼されて血肉になるからだ。(というのは外向きの説明で、私自身がこのような〈ロマンチック・アイロニー〉に浸るにもってこいの時間をこよなく愛しているに過ぎないのだが。)しかしながら、極東の島国から太平洋を越えて南部アメリカを目指すともなれば、前方の座席に据え付けられたイン・フライト・メディアでエマ・ワトソンの『美女と野獣』を観て、持参した沢木耕太郎の『旅する力』を読み、続けてバーニー・ケッセルのアルバム『ティファニーで朝食を』を聴いても、まだまだ暇を持て余す。

ちょうど、エンジン音のホワイト・ノイズとわずかな機体の揺れにも慣れてきたころ、イヤホンから流れる音楽を耳に注ぎ込みながら妙な物足りなさを感じた。すこし考えてみると、これは当たり前で、まず、音楽には映画と違い視覚的な刺激が無いのだ。さらに、書籍を読むのには「自分でページをめくる」という能動的な行為が強いられるのに対して、音楽は自動的に進行していく極めて受動的な情報の摂取なのである。それゆえ、意識していなければ音楽は右から左へ流れていってしまう。

これではいけない、と私は目を閉じ、ジャズのコンピレーション・アルバムを再生した。まずは、音楽の細部にフォーカスを当ててみよう。8分音符のスウィング・リズムの揺れ方を、セクションによるハイハット・シンバルの硬質性の違いを、そして最小限の音色で演奏されるゴースト・ノートをひとつ残らず聴き取ろうとした。すこしずつ信号処理の解像度が上がってくるにつれて、脳みそのかゆいところがほぐされるような心地よい(そして、なぜだか懐かしい)感覚を覚えてきた。

よし、いい調子だ。次に、少し視点を離して、演奏されている空間を想像してみる。ヨーロッパのこじんまりとしたジャズ・ライブハウスでの録音で、白人のトランペット奏者が渋い顔をして吹いているようなアップ・タイトな雰囲気が想像できるような曲が終わり、ニューヨークのハーレムのネオンに煌々と輝く『サボイ・ボール・ルーム』で演奏しているような、陽気で開放的なビッグバンド・サウンドが入ってきた。エコノミー症候群で足元がひどく怠くなってきていたのもあったのか、その広々とした空気がいたく気に入った私は、「どんな匂いがしそうか?」「空気はどんな肌触りだろうか?」と膨らまし、音の向こう側へのさらなる同化を試みた。徐々に機内がコンサート・ホールに変わっていく。そして、ふと思いついた「もし映画なら、どういうシーンで流れそうか?」という問いを契機に、想像の跳躍をみた。ちょうど、自ら夢――寝床でみるそれでもあり、夢想でもある――に潜っていくような感覚である。

"PA IN PROGRESS" (お客様へのお知らせ)

〈4月のパリ〉のセーヌ川でエマ・ワトソンと散歩をしようとしていた私に、客室乗務員の機内アナウンスが業腹に割り行った。私の身体から遠く離れたところまで拡がりつつあった世界は、風船を割ったようにぷしゅっと萎んだ。アメリカに行こうとしているのにパリの幻影を見るなんて!と平手打ちを食らった気分だ。

ナッシュビルまで、あと3時間。「ただいま気流の悪いところを通過中です」と言われたからか、しばらくエンジン・ノイズが耳についた。

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