東南アジア旅行記 Day 11 東洋のベニス・マラッカ

@マレーシア・マラッカ


クアラ・ルンプールからわずか10リンギット(≒250円)、バスで2時間ほど揺られれば、ほとんど一切のトラブルも無く、世界遺産・マラッカに到着した。

歴史上貿易港として栄えて来たマラッカには、マレー、インディア、中国に加えて、オランダ・ポルトガルなどヨーロッパの血も通っており、古くから人種のるつぼとなっている。それ故、仏教のお寺、キリスト教会、そしてイスラム教のモスクが街に同居しており、さらに、オランダ広場と呼ばれる広場の近辺ではヨーロッパ風の建築物も鎮座している。

あのフランシスコ・ザビエルも、この地で日本人の「やじろう」と出会い、日本にもキリスト教を布教させる運びとなったそうだ。マラッカは大航海時代の物流の拠点であり、人と人とが化学反応を起こす要地でもあった、ということだろう。

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マラッカには、文化の混沌がある。

私が居た9月9日は、中国系民族のハングリー・ゴースト・フェスティバルがあった。旧暦の7番目の月は、彷徨える魂のために食べ物や踊りを捧げるのだ。民族衣装を身に纏った舞人たちが街を凱旋していたが、太鼓のリズムがひと味ちがう。日本でも馴染み深い三・三・七拍子のリズムだが、それぞれの頭にハネた装飾音が入っており、シャッフル・ビートのグルーブになっている。

また、トライショーと呼ばれる観光客向けの人力車がある。何故だかわからないが、ハローキティ・ピカチュウ・ドラえもんなど日本を代表するキャラクターたちで絢爛に装飾されている。(そもそも版権は大丈夫なのだろうか。某ねずみは見かけなかったが、探せばいるかもしれない。)これがさらに、スピーカーでダンス・ミュージックを流しながら走り回るものだから、兎に角恥ずかしい。カンナム・スタイルはとりわけ耳に付く。


マラッカには、共有の文化がある。

ジョンカー・ウォークと呼ばれるチャイナ・タウンで、シンガポール由来のライス・ボールを食べていると、青年と相席をすることになった。すこし話してみると、青年はクアラ・ルンプールでビジネスを勉強している大学生だという。彼もタイやイギリスを始めいくつかの国に訪れた経験があり、旅先の話で思わず盛り上がった。ひと段落つくと、彼は、炒めたキャベツのような料理を私の前に差し出すと、半分どうぞ、と言った。

これは、美味かった。単に味が美味しかったという以上に、ひさびさに人と心を通わせた気分になったからだ。

「僕らは、共有する文化なんだ。」

私も、その文化にならって、手を付けていなかったチキンを差し出すと、彼は喜んでそれを頬張った。

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マラッカには、水がある。

食後しばらく辺りをぶらついて、街が次第に眠り始めたのを感じた私は、マラッカに流れる水路の傍に腰掛けた。ココナッツの甘ったるい匂いと、ほのかな磯の香りがしている。

そして、その水路を流れる水が、バンコクのチャオプラヤーのそれとも、ペナンのバトゥ・フェリンギのそれとも異なるのを見出した。無論、留学先だったイギリス・ニューカッスルのタイン・リバーのそれとも異なれば、学部時代に住んでいた京都の鴨川のそれでもない。

しかし、私はその川上に、これまで出会ったすべての人々の面影を投影してしまった。上流から、過去の思い出や経験が下ってくる。それらが今やマラッカに流れ着き、《いま・ここ》でしか体験できない刹那的な現象となって、目の前を流れていく。

――アウラだ。芸術家は、アートの複製・再現によって失われる部分を指してこの言葉を用いる。私は、これまでの経験が咀嚼され、思い出が浄化されていくその幽玄な映像を、ただ見守った。

ゆるい瞑想状態から抜けた後もぼうっとしていて、寝床でまた夢をみた。

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