東南アジア旅行記 Day 3 シンハー・ビール・デイ

@タイ・バンコク〜タイ・アユタヤ


どうやってアユタヤに行こうか、ベッドの上で調べていたら、昨日のタイ人の人妻2人組が車でアユタヤに行かないかと誘ってきていた。願ったり叶ったり、である。朝ごはんには露店で売っているバナナと牛乳を流し込んだ。東南アジアで食べるフルーツはジューシーで美味しい。フルーツの行商は日本では流行らないのかしらん。1時間ほど街歩きをした後、カオサン通りのロータリーに迎えに来ていたBellaの車に乗り込んだ。

世界遺産・アユタヤ王朝の都には1時間ほどで到着した。腹ごしらえに、チャオプラヤー川沿いのタイ料理店「Blue River」を訪ねた。

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川床だ!テラス席が水面まで迫り出している。座席の底が抜けていて、両足をぶらっと投げ出せるようになっている。 「Blue River」とは名ばかりの白茶色の川にiPhoneなどを落とさぬよう細心の注意を払いながら、SINGHA(シンハー)で乾杯した。

“Chi-yo !(乾杯!)”

汗をかいてカラカラになった身体に流し込んだビールが、いつの間にか瓶2本にも及んでいた。 しまった。ふたりが一生懸命にタイについて、タイ語についてなど教えてくれるので、つい楽しくなってしまった。

「もう1本飲む〜?」

まずい。お酒を勧めてくれるほど光栄なことは無いのだが、そろそろカフェラテ・リバーに滑落しそうだ。 私はタイ風豚骨麺の深皿を手に取り、乾杯のジェスチャーをした後、底に残っていたスープをすすった。


象の背中に揺られて古都を遊歩していると、美しい史跡たちが数キロ四方で偏在しているのが見渡せる。ワット・マハタートも、アユタヤのほとんどの遺跡がそうであるように、ビルマ軍の侵略(1767年)によって破壊された。

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当時の戦禍の激しさを物語るように、整列されている仏像のおよそすべてが、頭部を切断されている。 地面を見やると、仏頭があちらこちらに転がっていた。その中のひとつを菩提樹の根が掬い上げて取り込んだものが最も有名な観光地になっていて、見覚えのある人も多いだろう。

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大仏と対峙している私を見て、Bellaがお祈りの仕方を教えてくれた。 まず、仏像と正対し、膝を付き、合掌を作る。両手を上げて、そのままおでこが床に着くまで深く礼をする。それを三回繰り返したあと、合掌して目を瞑り、祈る。日本の「二礼二拍手一礼」と比べると、やや大げさな動きだ。

日が落ち始めて、雲ひとつない空が朱色に染まり始めた。仏塔の肩越しに、月が浮かんでいる。 無音。たとえ廃墟と化した後でも、只管に座禅を組む大仏に、タイ式の祈りを捧げて、アユタヤを後にした。


「バンコクに来ているのか?今日はシアム通りのウィスキー・バーでライブをするから来ないか?」

イギリスに住んでいたころにジャズ・バンドを組んでいたPeterからメッセージが来ていた。 まさか、と思った。私の人生に少なからず影響を与えた彼に、バンコクで再会できると言うのだ。

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このチャンスを逃せばもう会えないかもしれない。私はホステルに荷物を下ろすと、すぐにシアム通りに向かった。

送られてきた住所に着くと、気取ったバーの入り口からウォーキング・ベースとシンバル・レガートの音が聴こえてきた。ここだ。扉を開けて足を踏み入れると、リズム・セクションにピアノ・ソロが合流した。やはり。彼の音だ。そして、この曲は「A列車で行こう」だ。

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「ファースト・セットはここまでです。しばしご歓談下さい…」

カウンターの席に案内されて座ると、ちょうどファースト・セットが終わった。私が彼の名前を呼ぼうとするタイミングで、彼も私の名前を呼んだ。

「久しぶりだな。信じられないよ。」

再会の儀式を済ませると、すぐにSINGHAを2本注文した。話したいことが余りにも多すぎて、何から話せばいいかわからない。彼は、香港でたまたまあった知人に紹介されて、東南アジア諸国を周りながら音楽活動をしているらしい。数ヶ月前からバンコクに逗留していて、一緒に来ている彼女ともども、お気に入りの国になったとのことだ。私からは、しばらく人生について考えていたこと、そして数学とも音楽とも関係のない職に就くことになったことを伝えた。彼が目を丸くしていたので、あなたの影響もあります、と言いかけてやめた。

セカンド・セットが始まる前になって、演奏しないか?と誘われた。数ヶ月ドラムスティックを触っていない、と言うと、「ダメだったら辞めさせるから。」ホスト・バンドのドラマーも居るし、と言うと、ドラマーが横から出てきて「では、私はボーカルをやります。」こうやって断る理由が無くなるころには、むしろ既に「演奏をしたい」という気持ちが遠慮を上回っていた。

2年ごしのジャム・セッションが始まった。なんと、楽しいのだろう。サード・セットに辿り着く頃には、観客も手を取り合って社交ダンスを踊り始めていた。眼前に広がる、このラ・ラ・ランドのような光景を、いつまでも抱きしめていたい気持ちになった。

演奏をしたので、飲食代はお店が持ってくれることになり、またPeterと飲み直した。いつの間にかすっかり出来上がった彼に、賭けビリヤードをしないか、と持ちかけられたので、よろしい、受けて立とう、と席を立った折に、この男が金のかかった勝負にだけ滅法強いことを思い出した。

私は、なけなしのタイバーツを夜に溶かしていった。