コトバに出しつづける必要性

ふつうの人ならとうに気付いてるだろうことを、この歳になってようやく気付き始めたことに恥ずかしさが募ってならないが、大切な心境の変化なのでまとめておきたいと思う。

たくさんの人に会う

高校から続けてきたジャズバンド活動に終止符を打ち、大学3年生に進級してからの数年は、出会いを大切に、などと言いながら、「たくさんの人に会う」ことをテーマに生きてきた。 自分の友達のネットワークを広げることに多かれ少なかれメリットを感じていたのもあるが、何より「自分の存在証明を、他者から自分に向けられた言葉におもねていた」からだというのは最近になってわかってきた。

とにかく、バンドをやめてから、端的に言えばやりたいことがなかった。

「なにがしたいの?」

何か見つかることを願って飛び立った留学から帰ってきて、いつの間にか、自然と目を見て話す習慣が付いていた。 イギリス・ニューカッスルの人たちは目が合うと笑顔で返してくれて、 ただ目が合うだけでちょっぴり幸せになれるということがわかったからかもしれない。

それまで伏し目がちだった自分は、それからすこしずつ現実を直視するようになり始めた。 進路を選ぶそのときになって、入居していたシェアハウスのメンバーも、高校のときのバンドメンバーも、親兄妹も、「なにがしたいの?」と自分に聞いてきた。 「なるようになると思う」と答えてお茶を濁していたが、目はまっすぐ自分に向けられていた、と振り返って思う。

「なにになるの?」

気づけば、行くさきざきで会う人々が、本音と親切を持って自分に伝えてくれているアドバイスを素直に受け止めることが出来なくなっていた。自己否定の連続からか、「誰も自分の力をわかってくれない!」というわけもわからない他責の気持ちが芽生えてきた。ありもしない自分の能力を買ってくれる誰かを探していた気もする。

落ち着かないまま、受けている外資系企業の選考も進んでいき、焦りはどんどん募っていて、このままでいいのか、という不安でいっぱいだった。

そんな中、数日前にあった学部時代からの旧友との飲み会で、「なにになるの?」と曇りのない目で伝えられた。このブログがきっかけで今日数年ぶりに再会した中高の同級生にも「なにになるの?」とあまりにも自然に聞かれた。

旧友。

曲りなりにも長いあいだ一緒に時を過ごした人たちからの言葉は胸に突き刺さり、ようやく、「本当に誰も答えなど教えてくれないし、自分で見つけ出すしかないんだ」と自覚した。

するっと思いが喉元を越えて飛び出し、気付いたら「プロダクトを作りたい」と言っていた。

コトバに出しつづける

コトバにしたら、ふっと現実味を帯びてきて、チームで作業する共創の感覚や、美しいプロダクトを作り上げたいこだわりや、誰かを喜ばせたいという気持ちが身体中で跳ね回って、わくわくした。

そういえば、ブログを始めたおかげでこんな出会いがあったし、書くことでどんどん自分の考えが整理されてきた。

コトバにださないから、自分がこころの中で考えていることもわからないし、人にも伝わらないんだなあ、と。

他人におもねて生きていたら本当の意味での「仲間」も出会えないんじゃないか?とも思えたし、これからは評価を怖れずに「コトバに出し続ける」ことを胸に刻もうと思う。

きっと何度も言われてきたことだけど、腹落ちした良い夜だった。